<お受験>情け容赦ない現実に、親が心得ておきたいこと。
今年も、受験期のママ友が
人が変わったように荒れているので
思ったことを書きます。
だから、ちょっと暑苦しいかもしれませんが
どうかご容赦のほど💦
(以前に書いたことを切り取って再編したので
既読感あるかもしれません🙏)
悔しい気持ちは子も同じ。
今こそ親が “導く” ときでは
小学校を受験するということは
ほぼ99%が親の発案によるものであり
だから親はがんばるし
まだ幼い我が子の成長を信じて
期待をし、応援し、がっかりし
まるで自分のことのように伴走します。
そのうち、子どもの評価がそのまま
自分の評価につながっている気になって
だんだん境界線が曖昧になってくる。
私も9月くらいにいったん
「やばい」って思いました
年長の夏から準備を始めた遅スタートだったから
最初は、あれこれ初めてのことだらけで
「(思ったより)いけるかも」なんて思っていたのが
夏季講習や模試での
我が子の不甲斐ない結果をみて
子どもより凹んだときね、、
「ヤバイ..」と思ったわたしは
いっしょうけんめい
「これは受験というひとつの物差しの結果。
娘の良さは私がいちばん知っている」
念仏のように自分に言い聞かせ、
もし、万一のことがあっても
絶対にガッカリを悟られまいと心に誓った
それでも絶対、顔や声に出てしまうと思った私は
子どもにも同じことを言い続け
「小受はがんばったからって報われるわけじゃない世界。
だから、学校側の勝手な評価に惑わされないで
○○(娘)は○○の良さを伸ばしたらいい」
と
口酸っぱく言い続けたのは
なにより自分がそう信じたかったからに他なりません。
小学校受験に惹かれながら
「でも、不合格(敗北感)を経験させるには早すぎないか」と
それが心配で挑戦を躊躇っていたくらいなので
→ ☆
わりと、そのへんは徹底していました。
だから
お受験準備に “全集中” して
子どもを追い込んでしまうママ友や
「あの子はできてる」「レベルが高い」みたいな
評価の基準が学校目線になっているママ友には
正直、かなり
思うところがありました。
もし結果が伴わなかった場合
お子さん、救いがないんじゃないかなと。
そしてそういうご家庭に限って合否が伴わなかったりして
そうすると、攻撃が始まるのです。
ショック→落ち込み→怒り
怒りは、我が子に向かうこともあれば
お教室や先生、学校、そして合格組に向かうこともある
これはご縁を手にした側の綺麗ごとと言われたら
そうなのかもしれませんが
親が子ども以上に結果に惑わされ、
他所の子の合否に心が乱れてしまっては
本末転倒。これは親の試練です。
他所の子にあって、我が子に足りなかったもの
答え合わせしたくなる気持ちは痛いほどわかります
そうする人を何人も見たし
結果が違えば私だってしたことでしょう。
「そもそもあの小学校ってさ(悪口)」
「入んなくてよかったわー」
そんな悪態を吐かれるのもしょうがないのかもしれない
でも
悔しくて何かしてないと発狂しそうになる気持ちも
その矛先を、どこかに向けたくなる気持ちも
どうか最後の力を振り絞って
子どものために
「ひとふんばり」してあげてほしい
我が子の受けた学校を貶すのは
これまでの頑張りを貶めるに等しい
ああすみません、
お察しの通り。
身近なママ友が第一志望にかなわず荒れていて
見ているほうもつらいのです。お子さんは言わずもがな
そのテの話は
お受験の掲示板(インター○デュさんとか)でも
ごまんと溢れていますよね。
この時期になると増える学校の悪口系..
厳しいことを書きますが
小受の結果は、親がまずクッションとなり
衝撃を受け止めてあげなくてはいけないと思うのです
つまり、「残念」や「リベンジ中受」みたいな
ネガティブな言葉の入り込む隙のないほどに
これまでの道のりを讃えてあげなければいけない。
いちばん泣きたいのは子ども。
小受の主体は親だとはいえ
6歳だって小さい体で傷つきます。
その刃から守ってあげられるのは
親しかいないと思うんです。
「どんな結果になろうとも
これまでやってきたことは未来に繋がる。絶対に😊」
そう言い続けるのが、小学受験。
ここまでがんばった子どもたちの経験は、
何ものにも代えがたいほど尊い。
その学校に入ることは
受験を突破することは、
(未来をつかむ)手段であって
目的ではないはずです
今日はそうとう熱くなってしまいました💦
ただ、これだけは言いたくて。
「未来は、必ず明るい
明るく照らせばいい。」
心から親がそう信じ、願うことが
子どもの足元を照らしてくれるのだと
私は今でも信じています。
jaiko