小学校受験と中学受験、結局どうなのそこんとこ。
こちら中学受験生@6年生の夏期講習。
前線、めちゃくちゃハードです!!
でも小受とはまた違った学びがあります
やっぱり「受験」はいいですね😊
いわゆる「塾ばかりで小学生がかわいそう」といった気持ちはもはやなく
塾は塾で、モチベーションUPの手腕もあり集団塾なら輪もできて
それはそれで「真夏の大冒険」に感じる。
一生懸命さにおいて、部活と大差ないのです。
模試は試合。負けて泣いたり自分の足らなさに涙する
そして前を向く(←ここ大事。笑)
では、さて
小学校を受験し、さらに附属小から中学受験に挑む今。この立ち位置から
「小受? 中受? どっち?」を考えてみようと思う。
駆け抜けたあとに意見が変わっているかもしれないし、それもまた一興。
憧れの私立小、中受での立ち位置(学力)はどの辺り?
「小受か、中受か?」
世間には様々な見解がありますが
ここはあくまで私個人の主観でお話しますね。
ぶっちゃけると、我が家が小学校受験で選んだ私立のA校は
エスカレーター式で大学まであるものでしたが
偏差値でいうとそこまで高くない。うちは小学校受験の際に学力帯を気にしなかったし
純粋に、教育理念や学校側の「子どもたちへの接し方」で選んでいました。
小学校の6年間って「環境を買う」みたいなところありますよね?
一方、中学受験の窓から学校群を眺めてみると
「あぁ、あの憧れ校は中受(学力)でこのくらいの立ち位置なのか」と
驚くことも多いです。
小学生ともなると学力や成績にもリアリティーが出てきて
子の「立ち位置」も見えますし、親のほうも目線が上がるので。
参考程度に貼っておきますね、2023年度中高一貫校の偏差値一覧(四谷ver.)→☆
(※塾によって受験者の母数が違うので数値ではなくポジショニングの一例として見ていただければ😊)
文字、細か過ぎて見えないですよね
貼っておきます。
→☆
小学校のお受験で人気の学校なんかは
2/1のAMに入試日設定されてるところが多いかな?
小受のいいトコ、中受のいいトコ、我が家の場合。
いかがでしょう?
「小学校受験で志している学校が、中受でどのくらいに位置するか」
この視点は、当時の私にはまったくないものでした。
今でもそこに重きを置いてはいないですが
それでも「あのままA小に入っていたらまた違った人生だっただろうな」と思うことはあります
多くの私立小で過ごす6年間は、学力以上に得るものも多く
たとえば情操教育、英語やコミュニケーション力、etc,..
今は「附属だから勉強しない」とも言えないですしね
さすがに中学受験生の猛勉強には太刀打ちできないようですが
いざ、中学でスタートを切るともともと力のある内部進学生はぐんぐん伸びて
最上位層は内部生、というのもよくある話。
翻って、中受組というのは
小学4年から夏も冬も毎日のように塾へ通って
親のプレッシャー、組分け&席替えのプレッシャー、合否ラインと闘って
そんな彼らは「小さな戦士」
そういった心身へのストレスを避けるべくして6歳で受験をするのか
あえて競争の中に身を置いて、伸びる力に賭けてみるのか
それはお子さん次第なのかな?
勉強に「ハマれば」中受は大アリ!
個人的にあまり好きな発想ではないのですけど
「コスパ」の面で考えると
学力がある程度見込めるなら、中受はアリだと思います。
なにしろ成績一本勝負!
たとえば男子なら暁星、青山学院あたりは偏差値50台とお得感ありますし
女子なら横浜雙葉、東京女学館、学習院女子あたりも50台(2023年現在)
人気の成城学園も立教系も白百合あたりも
小受ほど「遠い存在」ではない。(KO除く)
小受で涙を飲んだご家庭が
「あら。中受では併願にさせていただきます」なんてことも
きっとあるのでしょう。そう思ったら
「小受でご縁がなくてもそれもご縁。」
中受に切り替えて、切磋琢磨するというのもまた
子どもたちの人生の新機軸になるような。
、、そこでまた
「加熱した熾烈な中学受験を回避して、高校受験がコスパよくないか」説も出てくるわけですが💦
それについてはまた今度✋
私立小にはコスパで測れない「何か」がある!
さいごに
我が家は、小学校を受験しました。
、、で、中学受験もする予定です
「じゃあ小学校受験はムダだったか?」と問われれば
それはまったく思わない。
「嫌いで別れるわけじゃない」
少女マンガのセリフみたいですが笑
まさにそんな感じで
ここでしか出会えない経験がたくさんできたし、仲間や先生にも恵まれ
なにより「小受で自分を試せた」という満足感があったから
また次の山(中受)に挑みたい、という気持ちが娘に芽生えたんだと思うと
受験って、やっぱりわるくないなと思うのです。
〜真木悠介「気流の鳴る音」より〜
芭蕉は松島では一句をも残していない。
芭蕉の旅の意味は「目的地」に外在するのではなく
奥の細道そのものに内在していた。
松島がもし美しくなかったとしても、あるいは松島にたどり着くまえに病に倒れたとしても
芭蕉は残念に思うだろうが、それまでの旅を空虚だったとは思わないだろう
旅はそれ自体として充実していたからだ。
子ども自身が、旅の風景を1つひとつ
じっくりと胸に刻めるように
親は「タクシー乗りなよ」なんて野暮なこと言い挫かぬよう
経験、させよう。そうしよう。
jaiko